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このブログは、北海道のすばらしい自然に魅せられた私たちが、カメラ片手にふらふらと出かけた先の記録です。
「ベタ」な場所から「マイナー」な場所まで巡った、ふぉと・撮り・歩き・雑記。 写真入り本文はボリュームが大きいので、「続きを読む」以下にあります。 写真はクリックでさらに拡大してご覧いただけます(別窓表示になります)。 ぜひ、クリックしてご覧下さい^^♪ 特定の場所・生き物を探したいときには、検索窓をご利用下さい。 記事はマイペースにボチボチと増やしていく予定です。 写真と文章を通じて、何かが伝われば嬉しいです。 文中のアイヌ語に関する解説は、北海道環境生活部発行の「アイヌ語地名リスト」を参照しています。 写真・伽次穂和 写真&雑記 久米はるか 二人の撮った写真を元に、ポストカードも作っています♪ 「海蒼 絵葉書館」も一緒にご覧下さい(*^_^*) |
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札幌市のお隣、石狩市から、日本最北端の町稚内市まで続く海沿いの道「オロロンライン」の多くは、風が強ければ海水が道路にまで跳ね上がるほどに海の近くを走っている。
反対側は、乗用車からではてっぺんが見通せないほどに高い丘が迫っている。 小平町を抜け苫前町に入ると間もなく、その丘の上に何基もの風車の並び立つ姿が目に飛び込んでくる。 2000年秋。 本州に住む友人と共に初めてその場所を目指したとき、そこはまだ地図にも載っていない、知られざるスポットだった。 |
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メインレースの後、冬場の最終レースはもうすっかり夜になっていた。
8頭のうち7頭がすでにゴールし、観客もほとんど引き上げた中、最後の1頭だけが第二障害の後の平地で立ち止まってしまった。 ばん馬の荒い息が、白く長く伸びて顔のあたりにまとわりついている。 「頑張れ、あと少し!」 誰かが叫んで、つられて残った数人の客がいっせいに頑張れ、頑張れの声をかけ始める。 騎手が再びムチを振り上げ、馬はようやくもう一度力強く馬場を踏みしめた。 一歩、もう一歩、やがて馬は少しずつスピードに乗っていく。 観客も彼と一緒に小走りになって、声援を送り続ける。 ようやくゴールをしたとき、その場にいた全員から暖かい拍手が贈られた。 |
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立ち枯れた白樺の足元に、美しい青色の池。
ある日、そんな写真に目を奪われた。 撮影地は美瑛町、私たちもよく行く場所だ。 そこにこんなきれいな景色があったなんて。 知ってしまえばいてもたってもいられない。 そうして最初に訪れたのは2006年の夏だった。 |
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奥州平泉で自害したはずの源義経は、海を渡り蝦夷地に上陸していた。
そうしてやってきた日高平取にあるアイヌコタンで、酋長の娘チャレンカは義経に恋をした。 けれども先を急ぐ義経は、行方を告げずにコタンを出て北を目指して神威岬にたどり着いた。 後を追って神威岬まで来たチャレンカだったが一歩間に合わず、義経は沖へと出てしまっていた。 呼べど叫べど届かない。 チャレンカはついに気が触れて、神威岬から海に身を投げ、その姿は神威岩となった。 以来、神威岬は長いこと女人禁制となってきた。 |
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「摩周湖」と言えば「霧」。
そんなイメージの強い湖だが、実は自分自身はまだ一度しか霧の摩周湖に出会っていない。 強烈な晴れ人間の成せる業か、と思い込んでいたけれど、どうやら実は霧が出ている日はそう多くはないらしい。 水分が全て凍りつく冬はもちろんのこと、春や秋にも少ない。 暖流と寒流がぶつかってできる霧が湖を囲む摩周岳を越えて入り込んでくるのは、6月から8月。 観光シーズンだけに、あまりこの時期に訪れることがなかったから、霧に出会わなかったのだ。 |
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6月の早朝3時前。
まだ空には無数の星がきらめいていた。 朝になる前に星空撮影でもしようか、とカメラをセッティングし、シャッターを長く開けているともう何枚も撮らないうちにみるみる星の数が減っていく。 黒から紺、深い青へと空が変化していくうちに、湖には霧が立っているのが見え始めた。 秘湖の名前にふさわしい、神秘的な夜明けだった。 |


